2012年8月23日木曜日

最高の日本人マーケッターと言えば? それは “この人” でしょう。

広告マンとしても福澤先生の業績を 心から偲びます・・

『学問のすすめ』 でおなじみの・・というより、今では “1万円札の人” といった方がピン!と来る、あの、福澤諭吉(ふくざわゆきち)先生についてのお話。

僕が高校生のころ、当時 大好きだった “勝海舟(かつかいしゅう)” の語録を調べていたときに、海舟と “犬猿の仲” だったらしい福澤先生にも えらく興味をそそられて、これが福澤先生に興味をもつきっかけとなったわけです。
福澤先生も、そして勝先生も。お二人とも時代の先頭に立った、いわば時代のリーダー的人物。・・なのにどうでしょう?ひと目も気にせず、公明正大に論争を繰り返すだなんて。めちゃめちゃ人間くさいじゃないですか? いや、僕は その辺が大いに気にいってるわけなんですが、この記事では2点だけ・・

【1】日本の広告マンとして、コピーライティングの重要性に目を向けた人物としての福澤先生

【2】中国や韓国との間にある “深い溝” について憂慮を示した、ジャーナリストとしての福澤先生

こういったところにスポットを当ててお話してみたいと思います。

まず、【1】日本の広告マンとして、コピーライターの重要性に最初期に注目した人物としての福澤先生について、話してみたいと思うわけですが、おそらく 大半の人にとっては、
「は?福沢諭吉が広告マンだって!?」 と訝(いぶか)しい思いをされるに違いないでしょう。
と、いうことで、まずは 『アド・ミュージアム東京』 さんや 『西垣泰子(にしがきやすこ)教授』 のサイトをご紹介しておきますから、お時間がございます時にでもご覧あれ。


慶応大学の設立と同じく、国民の学力向上を強く願っておられた福澤先生は、“時事新報” という新聞の発行にも力を尽くされましたが、明治15年、ついにこれを創刊。広く国民の啓蒙に努力されたのであります。(この辺りのことは、先ほどご紹介した “西垣教授” のご研究に詳しいので、ぜひ参照してください)
さて、いま僕らが注目すべきなのは、同教授のページにも掲載されている 次の一文。

「……我社固より政治を語らざるに非ず、政も語る可し、学事も論ず可し、工業商売に、道徳経済に、凡そ人間社会の安寧を助けて幸福を進む可き件々は、之を紙に記して洩らすなきを勉可し …… 」 これですよ。これ。

いまふうの文章にするなら、きっとこうなる。

「…もちろん、新聞っていうからには政治のことも書くよ。当然じゃん。政治も知らなきゃいけないし、教育問題だってもちろん大切さ。僕だってそう思うもん。
だけどね、どうして政治や教育のことを真剣に考えなきゃいけないのか?っていうとさ・・、それは、ひとりでも多くの人が幸せになるような “経済” を実現するためじゃないのかな?そうでしょ?
だから、世の中が平和に発展するために “これは必要だ!” って僕が思ったら、もう、ジャンルを問わず何だって書いちゃうつもりだからね!」 って、福沢先生は宣言してるわけ。・・感動的じゃない?

さらに、続けて・・
「広告ってものはね、メッセージを伝えることが大事なの。ゴテゴテかっこつけて書いてみたり、いろんな飾りはぜんぜん不要だから。こだわる理由なんてないんだよ。
すこしくらいヘンテコな文章になってもOK。ちゃんと君のメッセージが伝わるのなら、ヘンテコな文章でも “おもしろいこと言うよね~、何?この広告?” って感じで、読者は喜んで受け入れてくれるんだから。心配しないでズバッ!と書いてごらん?迷わずズバーッ!と。」

コピーライター諸君。・・どうですか?この福澤先生のご指摘は?

以前、『広告の父が残した言葉』『対話を拒否するコピー?』 で紹介した、“ホプキンス” や “バートン” よりも以前に、コピーライティングの要諦(ようてい)を指摘した日本人がいたわけですぞ。 ・・さすがは “言靈(ことたま)の助くる国” ですよのぉ~。
福澤先生は、まちがいなく広告マンとしても当時の世界でも超一流。屈指(くっし)の存在だったに違いありません。


さて、ふたつ目の 【2】中国や韓国との間にある “深い溝” について洞察(どうさつ)した、ジャーナリストとしての福澤先生についても知っていただきたいわけですが、これは 『“尖閣諸島の領有をめぐる論点”など』 といった記事が、意外と読まれていないことに気を揉(も)んでのこと。
世間でいろいろ騒がれていようがいまいが、そんなこととは関係なく・・、対中国・対朝鮮半島の動向こそが日本の命運を左右する、重要な問題 なんだと、ぜひとも知っておいて欲しいからなんですね。

そして、この点でも福澤先生はスゴかった。・・次の動画なんかは分かりやすいと思う。



『脱亜論(だつあろん)』 は、読んで字のごとく “亜細亜(アジア)を離れ去るべき論” のこと。
これもいまふうに言うなら、「そこいらの “アジアの国” に関わらない方がいいこれだけの理由」 って感じなんでしょうな。・・福澤先生は何としても、日本が国際化するにあたっての急所を知らしめたかった。「これらの諸問題を、国民の総意で克服するために。我々は学ばねばならんのだ!」 そんな先生の叫びが聞こえてくるようです。

当然、急進的な響きをもつ 『脱亜論』 の再発見以降、福澤先生への誤解は少なくありません。
この論考が注目されたのは戦後になってからなわけで、なんたって、体の重心がちょっと左側に片寄ってる知識人たちには過激に聞こえてしょうがなかったことでしょう。この辺のことに興味のある方は、ウィキペディアの該当項目 も参照してください。


たった2つの切り口から、急いで福澤先生のことを書いてみたんだけど、僕は福澤諭吉という人物こそ最高の日本人マーケッターなのだと結論づけてみたいと思う。

“慶応義塾福沢研究センター” などでも、近現代史における福澤先生のポジショニングについて研究が行われているし、これまで100年以上も 多くの人たちによって福澤先生に関する論及が繰り返されてきたが、彼らの “福澤ビジョン” が 一向に噛み合わず、福澤先生の人物像は、いまに至るまでブレまくっているのはなぜなんだろう?

ここでは “剣術の熟達者としての福澤諭吉像” にまで言及(げんきゅう)するつもりはないんだけど、すくなくとも 福澤先生をマーケッターとして理解する場合にのみ、そのリアルな人物像が見えてくることを指摘しておきたいと思います。
先生が この国の行く末をどのように捉えられていたのか?そして、大学教育の根本に据えていたであろう、先生の 『理念の出所』 までが、マーケッターとして考えてはじめて見えるように思えてならないのです。

そこで “結論”。

『福澤諭吉先生こそ、現代を生きる僕らがモデリングすべき “最高の日本人マーケッター” である。』

・・志ある方のご参究をお待ちしています。

かくも平易(へいい)でかくも明快な諭吉の文章が、かくも長きに及びかくも多くの人々によって、かくも大きく誤解されかくも歪(ゆが)んで曲解(きょっかい)されてきたのは、一体全体、どういうことなのか、それはおそらく近現代における知識人の夥(おびただ)しい迷妄(めいもう)や甚(はなは)だしい怯懦(きょうだ)と深く関係しているに相違ないと思わずにはおれなかった。 
『福澤諭吉 ~その武士道と愛国心~』( 西部邁著/文藝春秋刊 )より。

追記 : 下記のサイトは福澤諭吉マーケッター説(?)の研究に “特に” オススメです。
慶應義塾大学出版会 『Webでしか読めない・時事新報』
『ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね) ~梅田望夫と福沢諭吉』
『オフラインオンライン ~福沢諭吉が語る新聞広告』


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4 件のコメント:

  1. このところの一連の中国、韓国の行動に対して福沢諭吉の『脱亜論』がよく引き合いに出されているが、あしTAKUさんがリライトしたタイトル → 
    「そこいらの “アジアの国” に関わらない方がいいこれだけの理由」
    がはまっていて笑いました^^

    私も勝海舟とのある意味“大人げない”口喧嘩!?に魅力を感じて福沢諭吉を再読したので、共通点がありちょっとうれしいです!

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  2. “国家”と“経済”への深い洞察をもった福沢諭吉が、現在のネットインフラを知ったらどんなことを考えるんだろう?

    そんな興味を持ちながら、“幻の秘宝”を探していきたいです!

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