2012年8月19日日曜日

宗教オンチ

真心からの祈りは美しい
▲経済的成功と “祈り” は矛盾しない
僕らの国では、“無神論者” の方がカッチョいいらしいのね。これが宗教について研究したうえでの結論ならまだしも、どうもそうじゃない。
『 祈り 』 なんぞというものを、そもそも 真剣に考えたことのない人が 「宗教はバカバカしい」 とかなんとかおっしゃるから始末が悪いわけ。・・そんなふうだから、世界中で人間として相手にされなくなるのが分からないのかしらん?“宗教オンチほど野蛮な思想はない” ってことを知らないのは恐ろしい。

いや、恥ずかしい・・。

“宗教” と “信仰” の違いも分からないから、神とか霊とかいう単語が目に入った途端、拒否反応を示してみたり、近くの駅前でビラを配ってる新興宗教と、歴史のある伝統宗教の違いも気にならない。
これっていうのは、つまり歴史にさっぱり興味がないことを表明しながら 「この世の快楽以外、尊いものはございませんわ」 と顔に書いて歩く “猿” みたいなもんなんである。・・と、誰かが言っていた。

世界は一つになったといわれるが、宗教を理解しないと世界の人々と付き合っていけない。宗教によって行(おこな)いが決まる。宗教が違えば、当然、行いが違ってくる。
しかし、宗教が違っても人間はみんな同じであると思い込んでいる日本人には、ここのところがピンとこない。何も考えないで、どこまでも日本流で押し通すから、外国人はすぐさま面食らって、日本人は奇妙奇天烈(きみょうきてれつ)な人種だから付き合いきれないと思う。日本人は世界で孤立して交流も取引も困難になる。

もうずいぶん前から、お盆に海外旅行というのがトレンドになっていて、 昨年は 1,699万人 (出典:法務省入国管理局「日本人出国者数」) が、ご先祖さまをほったらかして勝ち組気分を謳歌(おうか)されたらしい。
お盆は “休日” ではなく “祭日” である、にも関わらず・・である。

これも、祭日に国旗を揚げなくなった弊害か?なんだか、休日も祭日も祝日も、みそもクソもごっちゃごちゃじゃん?

学生時代、必死になって勉強するのは “いい大学に入るため”。いい大学に入るのは “一流企業に入るため”。一流企業で働くのは“豊かな人生を謳歌(おうか)するため”。・・で、豊かな人生っていうのは、先祖を忘れ、日本を忘れることなんだろうか?なるほど、立派な日本とはそういうものか。

この世が最高だと思っている日本は、当然、無宗教国になった。
宗教がないから、カルト教団は簡単に人を殺して勝手に金を奪う。こんなにたやすくカルト教団がはびこれる国は他にない。
宗教がないから、学校は崩壊して、子供たちは自由に人を殺しても平気である。しかも、誰もその理由に気づかない。
宗教がないから、経済破綻くらいで闇雲に命を断つので、自殺率は急増中である。

宗教を研究すればするほど、人の愚かさがイヤになる。いかに多くの人たちが、神の名のもとに正義だといっては殺し合い、自分たちの正しさを主張したか?
まさに“宗教こそ人類の毒”。人類の宿痾(しゅくあ)ともいえるものに違いない。・・宗教には 『人間の業(ごう)』 が凝縮されている。だからこそ、宗教的なドグマとは別次元の “祈り” の尊さが分かってくるはずなのだ。“祈り” とは、人力では越えがたい業の重さに直面した人だけが出来る、極めて崇高な行為に違いないのだから。

資本主義もデモクラシーも近代法も、深くキリスト教に根ざしている。キリスト教の理解ができていないから、「資本主義」とは名ばかりの統制経済(とうせいけいざい)になり、三権は役人に簒奪(さんだつ)され、近代法は機能せず、政治と経済とは破局へ向けて驀進中(ばくしんちゅう)である。

・・以上、引用はすべて 『日本人のための宗教原論』( 小室直樹著/徳間書店刊 )より。


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1 件のコメント:

  1. 神道コンテンツの作成にご協力くださる
    宮司さんによりますと
    「神社界は比較的国際的な方々がいらっしゃる」
    とのこと。
    「自国文化が基となって文化交流が成り立つのですが、今の日本人にそれすら乏しい環境にあるだけでなく、外国語を上手く習得できない日本人の訳はそこにもしかするとあるのでは?と思うこともあります。」
    ともおっしゃっていました。

    やはりこれはやっておかなければ
    と決意を新たにしました。

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